笑うというのは大事だ。
先日、同級生のH子の顔を見にいった。
H子は最初、いつものように笑っていた。
でも、すぐに次の瞬間に涙がポロポロとこぼれ落ちた。
H子は数年前に家を建てた。
海岸沿いに立つ高い吹き抜けのある綺麗な家だ。
新築祝いに私や同級生が招かれた。
H子は背が高い。
その背の高さに合わせて作ったキッチンに立ち、
美味しい手料理でもてなしてくれた。
H子は笑っていた。
H子は中学校の同級生だ。
背が高くバレー部のエースアタッカーとして大活躍していた。
いつも豪快に笑っていた。
俺が東京で仕事に失敗して田舎の材木問屋で働き始めた時、
H子が20年ぶりに会いに来てくれた。
H子は黄色のコートをまとって笑っていた。
H子は優しいダンナさんとかわいい娘さんたちと
海岸沿い建てた高い吹き抜けのある綺麗な家で幸せに暮らしていた。
俺は2016年12月22日午後1時31分にH子にメールを送った。
「火事大丈夫?」
すぐに返信が来た。
「駄目みたいです。」
その日、新潟県糸魚川市の中華店から火災が発生した。
そこは雁木(がんぎ)が連なる商店や住宅など主に昭和初期の木造の古い建物が密集する地域。
加えてその日は朝から「焼山おろし」と呼ばれる強い南が吹き荒れていた。その強風によって火の子が四方八方に飛び散り、炎はあっという間に広範囲に拡大した。
炎の勢いは深夜になっても衰えず144棟を焼き尽くした。鎮火まで30時間を要し、地震や津波による二次災害を除いた延焼の規模としては、日本国内で過去20年間で最大の火災となった。
海岸沿いに立つ高い吹き抜けのある
H子の綺麗な家も全部燃えた。
H子は最初、いつものように笑っていた。
でも、すぐに次の瞬間に涙がポロポロとこぼれ落ちた。
笑いながらポロポロと泣いていた。
翌日、H子は実家のお父さんが畑で作った白菜を持ってきてくれた。
「大丈夫。こうして家族全員生きているだけでラッキーだよ。」
いつものように
H子は笑っていた。
追伸
先日は多くの方に新潟県糸魚川駅北大火に際してご心配を頂きありがとうございました。
翌日から行政が相談窓口、被害者届け受付の開設、被災証明書の発行、警察署や消防署との合同検証、被害者の住居の確保、被災者説明会の開催、ボランティアや義捐金の受付と次々と対応策を打ち出しています。
立ち入り規制も解除されました。写真は今日現地で撮影した写真です。子どもの頃からの街並みがすっかり焼け野原になっているのは残念ですが、被災した友人も知人も本当に前向きで元気にやるべきことをひとつづつ対応・処理している姿にこちらが驚いています。
昨日から下記のとおり義捐金の受付も始まりました。もし、被災した新潟県糸魚川市の方を応援を頂けるようでしたらよろしくお願い致します。
▼糸魚川市ホームページ内義捐金受付詳細
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